2019年5月1日

ブルックリン

アイルランドのエニスコーシーにエイリシュという若い女性が、母親と姉と三人で暮らしています。父親は早くに亡くなっています。

エイリシュは地元の食料品店で働いていますが、女店主は性格が悪く、エイリシュは他の仕事に就きたいと考えています。しかし、田舎なので仕事が少なく、他に彼女が就くことのできる仕事が見つからないので、不満を感じつつも食料品店で働かざるをえません。

姉のローズは美人でゴルフが上手く、男性の間で人気の女性です。仕事も経理の仕事をしていて、妹のエイリシュとは対照的です。

そんな所に、知り合いの神父から、アメリカに仕事に来ないかという誘いが来ます。このままアイルランドにいても他に仕事がないので、エイリシュはアメリカへ行くことにします。
船の食堂室で食事をしますが、周りには客がいません。給仕が彼女に言います。「君は良く食べるね。他の乗客たちはこの後嵐で船がひどく揺れて、船酔いで全部吐いてしまうから食べないのに」
その夜、エイリシュはひどい船酔いで苦しみます。船室の隣にトイレがあるのですが、隣の船室と間にある共用のトイレで、しかも向こうがこちら側の扉に鍵をかけてしまったので、エイリシュはそのトイレを使うことができません。
同室の女性に介抱してもらいながら何とか船酔いを乗り切り、エイリシュは無事アメリカに着きます。

エイリシュは神父の紹介で女性向けの寮に住みながら、デパートで接客の仕事を始めます。そして早くもホームシックにかかります。
神父は心情を察し彼女を労わるとともに、教会が補助するから夜間大学で簿記の勉強をするようにと彼女に勧めます。

エイリシュは簿記の勉強をしつつ、段々とアメリカの生活に慣れていきます。
教会主催のダンスパーティーで、彼女はトニーというイタリア系の男子から声をかけられます。一緒に踊った後、二人は頻繁に会うようになります。
トニーは自分の家に彼女を招待したいと言います。
エイリシュはイタリア料理を食べたことがないので、寮で先輩の女性たちから手ほどきを受けながら、パスタをフォークで食べる練習をした後、トニーの家に行き、彼の家族たちと食事をしました。その後二人は海水浴に行ったりして段々と距離を深めて行きます。

そんな折、アイルランドから電話が来ます。姉のローズが亡くなったことを伝える電話でした。ローズは前から病気を抱えていたのですが、それを誰にも告げずにいたのでした。




エイリシュはアイルランドに急いで帰ることにします。トニーはもうエイリシュがアメリカに戻ってこないのではないかと心配し、結婚してくれとエイリシュに哀願します。最初は必ず帰ってくるからと断っていたエイリシュも最後には折れて、二人は教会でひっそりと結婚式を挙げます。

アイルランドに帰ると、エイリシュは墓参りをして、女友達の結婚式に参列します。彼女は自分がもう結婚したことを、母親にも友達にも、誰にも言えないでいました。
そろそろアメリカに帰ろうというところで、今度は女友達から、地元の男性を紹介されます。女性たちの間では人気のある資産家の息子です。彼には婚約者がいたが破談になったのだとエイリシュは友達から聞かされます。
周りがエイリシュと彼をくっつけたがっているのを感じ、そして彼女もそれが良いのではないかと思う気持ちが徐々に高まってきます。彼女がアメリカに戻ると実家は母親が一人暮らしになってしまうし、仕事についても、ローズがやっていた仕事を臨時で手伝いつつ、アメリカで簿記の勉強をしていたことから、姉のローズがやっていた仕事を正式に引き継いでもらえないかと彼女の職場の上司から言われていました。

エイリシュは、アメリカに行く前にこうなっていれば良かったのにと呟きます。

そんな時に、彼女は昔勤めていた食料品店の女店主から呼び出されます。
彼女は遠回しにエイリシュに言います。自分にはアメリカに知り合いがいて、その人からあなたがすでに結婚していると聞いたと。

エイリシュは自分が戻ってきた土地がどんな場所だったかを思い出し、自分がすでに結婚していることを母親に告げ、アメリカへ戻ります。

アメリカに戻り、トニーと再会したところで映画は終わります。

コルム・トビーンの原作では、最後に、エイリシュはもうトニーを愛していないのだと、はっきり悟る場面があります。それでも自分はアメリカでトニーと暮らしていかなければならないのだという諦念が語らるのです。映画ではそのようなシーンはなく、再会した二人は幸せそうな笑みを浮かべながら寄り添い、幕が下ります。






2019年4月27日

シンドラーのリスト

映画を観て泣くことは余りありませんが、この映画は例外です。
最後の方で指輪を受け取るシーンがありますが、涙が止まりませんでした。




2014年7月13日

『青い野を歩く』 クレア・キーガン

アイルランドの作家クレア・キーガンの短編集。
ほぼ全編を通して描かれるのはアイルランドの田舎での生活であり、そこで暮らす人々の人間模様です。一昔前の出来事のようにも読めるし、21世紀を舞台にした物語として読むことも可能だと思います。文章は洗練され、無駄がなく、構成も綺麗にまとまっています。
農村での暮らしの息苦しさを感じさせる短編が多いですが、日常生活の様子にもアイルランドの歴史が深く刻み込まれているように思われます。
翻訳も言葉の選び方が巧みで素晴らしいです。


『別れの贈りもの』
アイルランドの農場の娘がニューヨークへ発とうとしている。その出発前、実家での様子が描かれている。


『青い野を歩く』
結婚式の場面。新郎新婦とそれを囲む親族や参列者たち。結婚式を執り行う神父は過去に新婦と関係があり、結婚式やディナーが進んでいく中で過去の出来事を思い出していく。


『長く苦しい死』
女性作家は、ノーベル賞作家のハインリヒ・ベルが住んでいた家にやって来て、そこで創作に専念しようとする。ところが着いたその日のうちにドイツ人の元教授から電話があり、部屋の中を見せてほしいと頼まれる。


『褐色の馬』
別れた女のことを思い出す男。破局の原因となった会話には馬に関する軽はずみな言動があった。


『森番の娘』
森で働くディーガンは如何にして妻のマーサと出会ったか。マーサはディーガンの家にやって来て何を見たか。二人の間に生まれてきた子供達。バラの思い出。娘は父からもらった犬にジャッジと名前をつける。しかしその犬には元の持ち主がいることを娘は知らない。
村人たちを呼んでの宴席で、妻のマーサは物語を語って聞かせる。そこで明らかにされる真実。

『波打ち際で』
21歳のハーバード大生リチャードは、母と継父の三人で食事をする。
リチャードは祖母のことを思い出す。


『降伏(マクガハンにならって)』
巡査部長と駐在所の話。


『クイックン・ツリーの夜』
クレアのドゥーナゴアの丘には神父の家があり、神父が亡くなった後、マーガレット・フラスクという女性が引っ越してくる。お隣にはスタックという男が雌山羊のジョゼフィーンと一緒に暮らしていた。
ナナカマドの空き地での神父との想い出。迷信深いマーガレット。スタックは農場の娘に日曜の昼食を624回ごちそうしても、その娘と結婚することがなかった。マーガレットとスタックを取り巻く噂好きの人々。


2014年7月6日

The Song of the Happy Shepherd

The woods of Arcady are dead,
And over is their antique joy;
Of old the world on dreaming fed;
Grey Truth is now her painted toy;
Yet still she turns her restless head:
But O, sick children of the world,
Of all the many changing things
In dreary dancing past us whirled,
To the cracked tune that Chronos sings,
Words alone are certain good.
Where are now the warring kings,
Word be-mockers? - By the Rood,
Where are now the watring kings?
An idle word is now their glory,
By the stammering schoolboy said,
Reading some entangled story:
The kings of the old time are dead;
The wandering earth herself may be
Only a sudden flaming word,
In clanging space a moment heard,
Troubling the endless reverie.

Then nowise worship dusty deeds,

Nor seek, for this is also sooth,
To hunger fiercely after truth,
Lest all thy toiling only breeds
New dreams, new dreams; there is no truth
Saving in thine own heart. Seek, then,
No learning from the starry men,
Who follow with the optic glass
The whirling ways of stars that pass -
Seek, then, for this is also sooth,
No word of theirs - the cold star-bane
Has cloven and rent their hearts in twain,
And dead is all their human truth.
Go gather by the humming sea
Some twisted, echo-harbouring shell.
And to its lips thy story tell,
And they thy comforters will be.
Rewording in melodious guile
Thy fretful words a little while,
Till they shall singing fade in ruth
And die a pearly brotherhood;
For words alone are certain good:

Sing, then, for this is also sooth.

I must be gone: there is a grave
Where daffodil and lily wave,
And I would please the hapless faun,
Buried under the sleepy ground,
With mirthful songs before the dawn.
His shouting days with mirth were crowned;
And still I dream he treads the lawn,
Walking ghostly in the dew,
Pierced by my glad singing through,
My songs of old earth's dreamy youth:
But ah! she dreams not now; dream thou!
For fair are poppies on the brow:
Dream, dream, for this is also sooth. 

2014年7月5日

イェイツと能

イェイツが日本の能の影響を受けて『鷹の井戸』を書いたというのは、イェイツの本の解説などによく出てくる話です。
日本ではその『鷹の井戸』を元に新作能『鷹姫』が書かれたそうです。
2014年6月、両国でその『鷹姫』上演の映像の一部を観ました。

イベントの最初の挨拶で駐日アイルランド大使が壇上に上がってきたのにはびっくりしました。
大使は日本の能が好きでよく鑑賞に行くのだそうです。


2015年6月13日はイェイツ生誕150周年に当たります。

『アイルランド 大地からのメッセージ』 守安功

守安功さんによる愛蘭土音楽紀行その2です。

その1よりも伝統音楽の演奏家に焦点を当てた構成となっていて、演奏家の名前が章のタイトルになっています。

こちらの本も中身が濃く、同時にとても大事なことが書かれていると思うので、折りに触れて読み返していきたいと思います。


『アイルランド 人・酒・音』 守安功

アイルランド伝統音楽演奏家の守安功さんによるアイルランド伝統音楽に関する本です。
伝統音楽そのものについてや、そこで使用される楽器についても記述の他、アイルランドのクレアで実際に出会った演奏家たちに関するエピソードが書かれています。

情報量の多い本なので、読み返す度に新しい発見があります。



THE SEA

ジョン・バンヴィルの小説 THE SEA(邦題『海に帰る日』)の映画が製作されていたようです。
予告編を見つけました。




『ヌーラ・ニゴーノル詩集』

アイルランド語で詩を創作する詩人、ヌーラ・ニゴーノルの詩集です。
ヌーラ・ニー・ゴーノルとも表記されます。
アイルランド語では、Nuala Ní Dhomhnaill と表記されます。

人魚を主題にした37の詩が収められています。
海や水のイメージが全編に溢れているほか、アイルランドの土の匂いやそこで暮らす人々の息遣いを感じる詩集になっていると思います。


『フールズ・オブ・フォーチュン』 ウィリアム・トレヴァー

ウィリアム・トレヴァーの長編です。
1920年代のアイルランドで、ブラックアンドタンズの報復により家屋敷を焼かれ母親以外の家族を失った主人公は、その後、あることがきっかけとなって事件の犯人を殺害するために旅立ち、目的を果たした後は姿をくらまします。
出掛ける前に知り合った従妹のお腹の中には主人公の子供が宿っており、女性はアイルランドで子供を産み、夫の帰りを待ち続けます。
子供が大きくなった頃、主人公はアイルランドに戻り、妻と暮らすのですが、そこに至るまでにはすでに長い年月が過ぎていました。

主人公の屋敷にはジョセフィンと言う名のメイドが出てきますが、後年このメイドが危篤となり、その報を受けて老年の主人公が会いに行く下りは、『アイルランド・ストーリーズ』に収められている短編『聖人たち』にも描かれています。