2012年12月9日

ジェイムズ・ジョイス『ユリシーズ』の思い出

自分がアイルランドに興味を持つようになった最初のきっかけは何だったのか、と考えた時、記憶の糸をたどっておぼろげに浮かんできたのは、ジェイムズ・ジョイスの『ユリシーズ』でした。
新聞に集英社版『ユリシーズ』の広告が載っているのを見たのは今でも覚えています。1996年から翌年にかけて刊行されたということですから、丁度自分が高校生の頃でした。
98年頃、予備校の帰りに大きい本屋の海外文学のコーナーで手に取って、最初の方を読んでみたこともありました。しかし、ダブリンが舞台という以外は中身も知らない一冊四千円以上する本を3冊も買う勇気はありませんでした(お金もありませんでしたが)。
にもかかわらず、何故か『ユリシーズ』はその後も自分の頭の中に残り続けていました。
タイトルと作者の組み合わせが持つ言葉の音の響きに、何か惹きつけられるものがあったし、今でもあります。
集英社版が文庫になった時も、興味はありましたが、すぐには買いませんでした。しばらくして古本屋で見かけた時にようやく買いました。そしてその後は本棚に置いたままになって今に至ります。

ここ数年、多少なりともアイルランドに興味を持つようになって日々を過ごしていますが、その最初のきっかけになったと思しき『ユリシーズ』を、そろそろ読み始めようと思いました。
挿話を一つずつ読んで、メモを残す形で読んでいきたいと考えています。


ミス・マクロードのリール(ジョイス『ダブリナーズ』の『土くれ』)

ジョイスの『ダブリナーズ』に『土くれ』という話があります。
その『土くれ』の中に、「ドネリー夫人がミス・マクロードのリールを伴奏して子供たちがダンスをし、ジョウはマライアにワインをすすめた」という文章があります。
ここに出てくるミス・マクロードのリールとはどんな曲なのか。
一読した時は気にしませんでしたが、私の持っている文庫本には楽譜も載っているので、
調べて見ました。
以下の曲です。
ハープ演奏なので、綺麗めに聞こえます。




『フェリシアの旅』 ウィリアム・トレヴァー

ウィリアム・トレヴァーの長編小説です。
17歳のフェリシアは、連絡先を伝えずにイギリスに行ってしまった恋人のジョニーを追って、アイルランドからバーミンガムへやって来ます。
芝刈り機の工場で働いているとジョニーが言っていたので、その方面で彼を探しますが、ジョニーは見つかりません。
そんな時、フェリシアに声をかける人物、ヒルディッチ氏が現れます。
ヒルディッチ氏は工場の社員食堂の経営者で、豪邸に住む独り者です。彼はフェリシアの助けになりたいと申し出、ジョニーのいそうな工場を探す手伝いをします。
しかしジョニーは見つからないので、フェリアシアはヒルディッチ氏の厚意により、彼の邸宅で宿を取ることになります。
善良な人物を装っているヒルディッチ氏ですが、彼には、これまでに何人もの家出娘に助けるふりをして近づき、そして殺してきたという過去があります。
果たしてフェリシアの運命はどうなるのか。

物語の筋だけを見ればそれほど複雑な話ではないですが、細部に対するこだわりが強い作家なので、フェリシアとヒルディッチ氏を取り巻く人たちが、思いの外、数多く出てきます。一人一人がそれぞれ癖のある人物として描かれているので、ボリュームの大きい、読み応えのある小説になっています。

映画にもなっているようです。










2012年8月27日

ディパーテッド

こちらもアイルランド系マフィアが出てくる映画です。
アカデミー賞を受賞したことで有名ですが、ジャック・ニコルソンの演技と、最後のたたみかけるような展開が印象深いです。






劇中に流れる音楽も、いい曲ですね。
以下の動画の音楽です。



ロード・トゥ・パーディション

アメリカが舞台の映画ですが、アイルランド系マフィアの話なので、
アイリッシュな音楽が劇中に流れるシーンがあったような記憶があります。
後は、会話の中でアイルランドという単語が出てきました。
主人公のサリバンという名前もアイルランド系のよくある名前ですね。
結構気に入っている映画です。ジュード・ロウの演じる殺し屋がいい味を出しています。






2012年8月26日

『海に帰る日』

ブッカー賞受賞作。
この時の他の候補作に、カズオ・イシグロの『わたしを離さないで』があったというのは、
この本の受賞がとても意義深いものに感じられます。
原題は、The sea 。読みやすい文章でもないし、泣ける話でもありません。
言葉と文章に対するこだわりの強い作家なので、それらを愉しむつもりで読むのがいいかもしれません。


『無限』

ジョン・バンヴィルの割と最近の小説。
語り手が神であるヘルメスなので、文字通り神の視点で描かれていきます。
登場人物たちの中では神であるゼウスが一番の存在感を持っているような印象でした。
文章の密度は濃いです。



『ダブリンで死んだ娘』

ジョン・バンヴィルがベンジャミン・ブラック名義で書いたミステリー。
アイルランドとアメリカが主な舞台で、相互を行き来します。
内容に関しては、可もなく不可もなく、といったところでしょうか。
バンヴィル名義の小説に比べると物足りなさを感じるかもしれません。



2012年8月12日

『アンジェラの灰』

一度アメリカに渡り、その後アイルランドのリムリックに戻ってきたアイルランド人一家の物語。
日常生活はとにかく貧乏ですが、不思議とユーモアのある話になっています。



2012年7月5日

『密会』 ウィリアム・トレヴァー

ウィリアム・トレヴァー3冊目。
これまでに読んだ2冊に比べると、
今回の短編集には男女の話が多かった
印象がある。
意外な展開になるというものではなく、
ストレートに物語が進む形式が多い。


収録作品

死者とともに
伝統
ジャスティーナの神父
夜の外出
グレイリスの遺産
孤独
聖像
ローズは泣いた
大金の夢
路上で
ダンス教師の音楽
密会


2012年5月5日

バリー・リンドン


主人公の設定がアイルランド人だということで
アイルランド関係の映画の範疇に入るかと思いますが、
舞台の殆どはアイルランド以外の国です。

映像は絵画的。
物語は淡々と進む。
監督はキューブリック。

原作を読んで見たいのですが、如何せん絶版になっているので、
折をみて図書館で探してみることにしましょう。






2012年4月28日

マイケル・コリンズ

『麦の穂をゆらす風』の作中で一回だけ
名前が出てきたマイケル・コリンズ。
そのコリンズを主人公にした映画で、
イースター蜂起から内戦での彼の死までを
描いています。

風景や伝統音楽のシーンは少ないです。
役者は魅力的です。
なかでもデ・ヴァレラ役のアラン・リックマンの
演技は素晴らしいです。





2012年4月26日

麦の穂をゆらす風

アイルランド関係で興味を持って観た映画です。

タイトルは、伝統音楽の曲名からとられています。
アイルランド独立戦争とその後の内戦が話の中心になっていますが、
アイルランドの風景とその緑色が強く印象に残っています。





2012年3月8日

『アイルランド・ストーリーズ』 ウィリアム・トレヴァー

アイルランドの作家ウィリアム・トレヴァーによる短篇集。
『聖母の贈り物』の時と同じく十二篇が収められている。
今回の本では、アイルランドが舞台の話が多く、歴史的な出来事に関する記述も多くあり、
中身の濃い短篇集になっている。

『女洋裁師の子供』
カハルはスペイン人の観光客を車に乗せて、涙を流すという路傍の聖母像へ案内する。
その帰り道、カハルの身にアクシデントが起きる。

『キャスリーンの牧草地』
ハガーティーは牧草地を手に入れるため、末娘のキャスリーンを知り合いの家に女中奉公に出す。キャスリーンは奉公先で、自分が育ったのとは異なる水準の生活様式で暮らす人々に仕えることになる。

『第三者』
ボーランドにはアナベラという妻がいるが、彼女は浮気をしていた。
ボーランドは妻の浮気相手であるレアードマンに会って話をすることになる。

『ミス・スミス』
ミス・スミスは女教師である。彼女の生徒にジェイムズという少年がいるが、彼女はこの少年のことを快く思っていない。
やがてミス・スミスは結婚退職して、子供が生まれる。
ジェイムズ少年は庭の草刈りをしに来た男から、自分の行動指針について助言を得る。

『トラモアへ新婚旅行』
デイビーとキティーは新婚夫婦である。旅行先での会話から過去の記憶が甦り、
デイビーはキティーの真意を知ることになる。

『アトラクタ』
年老いた女教師アトラクタは、現実に起きている事件に思いを馳せ、
生徒たちに自分の思うところを語ることにした。

『秋の陽射し』
モラン牧師には四人の娘がいた。末娘のディアドリはイギリスに行ったまま音沙汰がなかったが、
ある日手紙が届いて牧師の元を訪れるという。帰ってきた末娘は男を連れていて、その男はアイルランドを賛美するイギリス人だった。

『哀悼』
リアム・パットは、自分は田舎暮らしで終わる人間ではないと考えてロンドンへ出る。
だが仕事は思うようにいかない。いろいろと面倒を見てもらっていた人に囲まれながら何とかやっていたが、田舎へ帰ることにしたと彼らに伝えると、リアムは一つの仕事を依頼される。

『パラダイスラウンジ』
不倫関係にある男女と、それを眺めて自分の若い頃を回想する老女。

『音楽』
ジャスティンは少年の時に近所のロウチおばさんと知り合いになり、彼女のすすめでピアノを習い始める。ピアノを教えてくれるのはフィン神父だった。

『見込み薄』
ミセス・キンケイドは、事件のほとぼりが冷めるまで旅をすることにした。
彼女は旅先の軽食堂で、ブレイクリーという男と相席になる。


『聖人たち』
アイルランドを離れてイタリアで暮らしていた「わたし」は、かつて「わたし」の家でメイドをしていた女性であるジョセフィンが危篤状態であるとの連絡を受ける。アイルランドへ戻って、「わたし」はジョセフィンと再会する。


アイルランド・ストーリーズ
アイルランド・ストーリーズ

2012年2月26日

『対訳 イェイツ詩集』

イェイツの詩を読みたいと思って最初に手にした本。
若い頃から晩年までの詩集からバランスよくピックアップされており、
訳も現代的で親しみやすい。

イェイツについて知りたい人が最初に手にするのに適した本ではないでしょうか。


『ダブリナーズ』 ジェイムズ・ジョイス

アイルランドの作家ジェイムズ・ジョイスによる短篇集です。

『ダブリン市民』というタイトルで出ていたものを新訳するにあたり、タイトルも原題である『ダブリナーズ』をそのまま使用しています。

ダブリンのさまざまな老若男女が出てきて、それぞれの生活が描かれています。

文章は、晦渋ではないにしても、決して平易なものではありません。

言葉に対するこだわりが強い作家による短篇なので、その文章が何を意味しているのか不可解な箇所が所々に出てきます。

折に触れて再読するのがいいかもしれないです。

「姉妹」
「出会い」
「アラビー」
「エヴリン」
「カーレースが終って」
「二人の伊達男」
「下宿屋」
「小さな雲」
「写し」
「土くれ」
「痛ましい事故」
「委員会室の蔦の日」
「母親」
「恩寵」
「死せるものたち」




2012年2月12日

The Second Coming



Turning and turning in the widening gyre
The falcon cannot hear the falconer;
Things fall apart; the centre cannot hold;
Mere anarchy is loosed upon the world,
The blood-dimmed tide is loosed, and everywhere
The ceremony of innocence is drowned;
The best lack all conviction, while the worst
Are full of passionate intensity.
Surely some revelation is at hand;
Surely the Second Coming is at hand.
The Second Coming! Hardly are those words out
When a vast image out of Spiritus Mundi
Troubles my sight: somewhere in the sands of the desert
A shape with lion body and the head of a man,
A gaze blank and pitiless as the sun,
Is moving its slow thighs, while all about it
Reel shadows of the indignant desert birds.
The darkness drops again; but now I know
That twenty centuries of stony sleep
were vexed to nightmare by a rocking cradle,
And what rough beast, its hour come round at last,
Slouches towards Bethlehem to be born?

『装飾する魂―日本の文様芸術』 鶴岡真弓

ケルト装飾についての著作のある方による、日本の装飾についての読み物。
日本の装飾をいくつかのテーマごとに分類し、解説していく。
何気なく見ていた文様が意味と歴史を持つことに気付かせてくれる本。
エッセイのような感覚で読みやすい。

装飾する魂―日本の文様芸術
装飾する魂―日本の文様芸術

2012年2月4日

『ディフェンス』ウラジーミル・ナボコフ

ルージンは幼い頃にチェスと出会い、成長してチェス・プレイヤーとなっていきます。
彼には、チェスは一流だがそれ以外の生活能力に乏しいという特徴があります。
やがてルージンは若くて美しい女性と出会い、伝統に則って彼女の母親の方に、先に結婚の意志を伝えます。

チェス小説としても読めるし、一人の人間の軌跡としても読めます。
時代状況を反映してか、次第にルージンの精神が追い詰められていきますが、
彼が彼自身を守りきれるかどうかに物語がシフトしていきます。
彼の妻やその家族、作家である彼の父、悪友など、主人公以外の登場人物も個性が際立っていて生き生きとしています。






『セバスチャン・ナイトの真実の生涯』ウラジーミル・ナボコフ

ナボコフとアイルランドに直接の結びつきはおそらくありませんが(ナボコフがジェイムズ・ジョイスに会ったというエピソードは確かあったと思います)、個人的に気に入っている作家の一人なので、読者が増えることを願って取り上げます。

語り手であるVは、腹違いの兄である作家セバスチャン・ナイトの伝記を書くために、
故人と縁のあった人たちを訪ね歩きます。

構成は、Vがセバスチャン・ナイトについて情報を集めている現在の場面と、
Vがセバスチャン・ナイトの思い出を語る回想の場面の二つに大きく分けられます。
それらが互いに絡み合いながら、少しずつセバスチャン・ナイトの人物が浮かび上がってきます。

同時に、Vの旅は、セバスチャンの最後の恋人であるニーナを探す旅でもあり、
彼女の正体が明らかになるまでは推理小説のようにも読めます。

全体的に読みやすい小説。にもかかわらず、細部にこだわるナボコフの記述は、この小説の密度を濃密なものにしています。



『見えない都市』イタロ・カルヴィーノ

マルコ・ポーロが、これまでに見てきた様々な都市の話をする。
だが、ヴェネツィアだけは語られることがない。
いつの日か彼の都市を訪れてみたいが、いつになるのだろう。


2012年2月1日

『日の名残り』カズオ・イシグロ


一人の執事が退職した女中頭に会いに行く道すがら、自分が仕えたダーリントン卿とその屋敷ダーリントン・ホールの往時の思い出を振り返る。
全体の構成が秀逸。
物語全体の時間の流れは緩やかで、執事の語り口は決して崩れることがない。
ブッカー賞受賞作。


2012年1月28日

A Drinking Song

Wine comes in at the mouth
And love comes in at the eye;
That's all we shall know for truth
Before we grow old and

 die.
I lift the glass to my mouth,
I look at you, and I sigh. 

Into the Twilight

Out-worn heart, in a time out-worn,
Come clear of the nets of wrong and right;
Laugh, heart, again in the grey twilight,
Sigh, heart, again in the dew of the morn.

Your mother Eire is aways young,

Dew ever shining and twilight grey;
Though hope fall from you and love decay,
Burning in fires of a slanderous tongue.

Come, heart, where hill is heaped upon hill:

For there the mystical brotherhood
Of sun and moon and hollow and wood
And river and stream work out their will;

And God stands winding His lonely horn,

And time and the world are ever in flight;
And love is less kind than the grey twilight,
And hope is less dear than the dew of the morn.

2012年1月26日

The Moods

Time drops in decay,
Like a candle burnt out,
And the mountains and woods
Have their day, have their day;
What one in the rout
Of the fire-born moods
Has fallen away? 


2012年1月23日

太陽に灼かれて

冒頭、ダンスを踊る男女。その後ろには歌手と楽器を演奏する人たち。
少し離れたところでは子供が歌を口ずさんでいます。
その場面の音楽はその後も度々さまざまな形で映画の中に流れます。






2012年1月22日

『不在の騎士』イタロ・カルヴィーノ


中身が空っぽの真っ白な甲冑が騎士を名乗りシャルルマーニュに仕えている。
そこに青年貴族やら女騎士やらが加わり、語り手である修道尼テオドーラの筆は多くの出来事をすっとばして手短にまとめ上げ、不在の騎士アジルールフォの物語は終わりを告げ、テオドーラの物語が始まる。

今後カルヴィーノは集中的に読みたいです。


『聖なる酔っぱらいの伝説』ヨーゼフ・ロート


『聖なる酔っぱらいの伝説』

炭坑夫としてパリにやってきたアンドレアスは、いつしかセーヌ川の橋の下で暮らしていた。
アンドレアスは酒飲みである。
ある日、偶然に金を手に入れる。それを使う。また偶然によって金を手に入れる。やはり使う。
いいことがあったら酒を飲み、つらいことがあると酒を飲み、何もなくても酒を飲む。
偶然の幸運に導かれるようにして、彼は最後を迎える。

『四月、ある愛の物語』

町にやって来た男が女と同棲する。
男は郵便局長の家の二階の窓辺に立つ娘に恋をする。
同棲している女から、娘は病気で余命幾ばくもないと聞かされる。
男は町を出て行くことにする。
駅で男は窓辺の娘と会う。
間近に見る娘はいかにも健康そうだった。
その足で男はニューヨークへ行った。

『皇帝の胸像』

オーストリア帝国領東ガリシアにモルスティン伯爵なる人物がいた。
戦争が終わり、帝国は解体され、東ガリシアはポーランド領になる。
モルスティン伯爵は、東ガリシアは依然帝国領であると考える。
彼は屋敷の前に皇帝の胸像を飾る。
政府により胸像の撤去命令が下る。
モルスティン伯爵は胸像を丁重に葬る。

物語中の出来事を淡々と要約しただけではわからないですが、
作者は生のよろこびを書いていると思われます。
同時に、解説にもあるように、そのよろこびを信じていないです。
これらの小説は黄昏という言葉を連想させます。




『めくるめく世界』レイナルド・アレナス


メキシコの修道士セルバンド師の遍歴の物語。
自説が異端とされたため、スペインの監獄に収監され、そこを脱獄したが、また別の監獄に収監され、さらに脱獄し、その後も収監されては脱獄するという具合に、この人物の生涯は脱獄の繰り返しです。
ヨーロッパを渡り歩き、トラファルガーの海戦を目撃し、メキシコ独立のために反乱を起こしたりもします。

テクストは一人称、二人称、三人称の三種類から成っています。
一人称はセルバンド師の語りによる空想と誇張の物語。
二人称は作者がセルバンド師に語りかける言葉。
三人称は史実を客観的に叙述しています。

というわけで、一人称による第一章が終わると、次は二人称による第一章が始まり、その後、三人称による第一章が続きます。
第一章が三つあるのです。

かといって全部の章が三つずつあるわけではなく、主として一人称による章立てが多いです。
空想的な出来事や狂騒が縦横に展開し、全体として奇妙な伝記に仕上がっています。


『百年の孤独』G・ガルシア・マルケス


ブエンディア一族の歴史。
マコンドという村の誕生から滅亡に至るまでの過程。
メルキアデスの羊皮紙。
豚のしっぽで始まり豚のしっぽで終わる物語。

ラテンアメリカの歴史と混沌をそのまま小説にしたような趣があります。
現実と非現実が違和感なく溶け合っていますが、幻想的な雰囲気はむしろ乏しく、一層現実的な、湿気の多い空気と熱帯の暑さを漂わせています。


『ハドリアヌス帝の回想』マルグリット・ユルスナール


年老いて病に臥しがちになったハドリアヌス帝が皇位継承者であるマルクス少年(後のマルクス・アウレリウス・アントニヌス)に自分の生涯を語って聞かせるという体裁をとった一人称による歴史小説です。
文章は密度が高く、晦渋ではありますが、見事なまでに彫琢され、美しいです。
歴史的事実、修正された事実、作者の創作、推測に基づく虚構、それらが皇帝の回想録を、実際には書かれなかったがもし書かれていたらきっとこういうものであったに違いない、と思わずにはいられないような回想録を鮮やかに紡ぎ出しています。

ただ、読み終えるまでにかなりの時間を要しました。




『停電の夜に』ジュンパ・ラヒリ


九つの短篇が収められています。
インド系アメリカ人の一世・二世の物語や、インドで観光案内をするタクシー運転手の話、インド人の女性に子守を依頼するアメリカ人の話等、どの短篇においても何らかの点でインドにゆかりのある人間が登場します。

夫婦や家族の日常生活を題材にしているものが多いです。観察力は鋭く、文の運びも巧いです。
特に、夫婦間の倦怠を書くことに長けています。
生活感のある小説、というのが率直な感想です。
そしてこの本の中では『三度目で最後の大陸』が一番気に入っています。



『ケプラーの憂鬱』ジョン・バンヴィル


主人公はヨハネス・ケプラー。コペルニクス死後に生まれた、ガリレオと同時代の人間。
コペルニクスの時と同様、学者が主人公の小説。
五部構成で、各部のタイトルがケプラーの著作名になっています。
1、宇宙の神秘
2、新天文学
3、屈折光学
4、世界の調和
5、夢

しかも五部であること、そして各部の節の数がケプラーの宇宙論に対応しています。
加えて、惑星の楕円軌道を意識して、各部の始まりと終わりが円環になるように書かれてもいます。
作者の形式へのこだわりを感じさせられる小説です。



『コペルニクス博士』ジョン・バンヴィル


第一章 軌道と光
ニコラス・コッペルニークの幼年時代から青年時代。兄アンドレアス。ポーランド、プロシア、イタリア。太陽中心の宇宙観に気付く。

第二章 芝居の先生
三〇代から五〇代にかけて。エルムラント。伯父。否応なく政治に関わっていく。チュートン騎士団。『小論』の発表。

第三章 宇宙の歌
この章だけは、他の章が三人称であるのとは違い、レーティクスの一人称で語られている。六〇代のニコラスの元を訪れたフォン・ラウヘン。『天球の回転について』の出版に至る経緯。

第四章 大いなる奇跡
最晩年。D.C.

もっと早くに読んでおきたかった本です。また、この小説の構造は実に興味深いです。



ヴォルテール『バビロンの王女・アマベッドの手紙』


『バビロンの王女』
バビロンの王女フォルモザント姫が、恋人のアマザンを追って、喋る不死鳥と共に世界中を旅する物語。確かジュリヤン・ソレルがこれを読んでいました。

『アマベッドの手紙』
書簡体小説。
インドに住むアマベッドと新妻のアダテと召使いのデラが、ヨーロッパからインドにやって来た教父に騙されてキリスト教に改宗したことにされ、そのまま船でローマへ連れて行かれることになる。その模様がインドに住む老大師シャスタシッドの元に手紙で逐一伝わってくる。
結末らしい結末はなく、未完成とも意図的な留保とも受け取れる結び方がなされています。



ヴォルテール『カンディード 他五篇』


表題作『カンディード』は傑作。文句なしに面白いです。

収録されているのは六篇。

『ミクロメガス』
『この世は成り行き任せ』
『ザディーグまたは運命』
『メムノン』
『スカルマンタドの旅物語』
『カンディードまたは最善説』


ドニ・ディドロ『ラモーの甥』


哲学者の<私>とラモーの甥。この二人の対話から成る18世紀の小説。
会話は至って明るく、対話の中身は非常に濃い。
芸術論や哲学論や当時の社会の揶揄や金の話など、話題の幅がとても広く、一読しただけでは内容を把握しきれない。にもかかわらず頁数は少ない。

作曲家ラモーの甥にあたる「ラモーの甥」は、彼自身も音楽家のような仕事をしている。
生活力は乏しく、貴族の子弟の家庭教師をやったり芸術家を庇護する貴族の食客をやったりしながら糊口をしのいでいる。
ある金持ちの家で道化を演じていたが、ふとしたことで自分に常識があることをひけらかしてしまい、その家を追放される。
カフェで<私>と出会い、オペラが開演されるまでの間、話し込む。

小説としても哲学書としても読める本。いずれ再読しようと思います。


オスカー・ワイルド『幸福な王子ーワイルド童話全集ー』


全部で9篇が収められています。
読んでいて思い出しましたが、高校時代、英語のリーダーの授業でワイルドの短篇を数篇読んだことがありました。ただ、当時は少しも面白いとは思いませんでした。

作品に度々登場するのが、三つの出来事ないしは試練です。
『漁師とその魂』では、魂が三度、漁師に自分の旅の遍歴を語って聞かせます。
『星の子』でも、星の子が金貨を三回取りに行かされます。
聖三位一体を表す三という数字は特別な意味があるという話だから、その辺から来ている構造なのでしょうか。
最初の一回で基本のパターンが提示され、二回目はそれを反復し、三回目でそれまでとは違う結末に至る。というのが基本のようです。

物語の結末は大きく二分されます。
幸せな結末、とまでは言えないにしても一応の救いが与えられる話。
中心人物の言動が周囲の人々に相手にされず、俗物性が余韻として残る話。
後者においては、相手にされない理由が自分自身に原因があるものと、周囲に原因があるものとに分かれます。

教訓を読み取ることも可能だし、美に対する崇敬やそれと対をなす世俗の愚かさを読み取ることもできます。
しかしここで注目したいのは、物語を彩る色彩です。
これらの短篇には様々な宝石や装飾品などが出てきて、実に鮮やかな世界を描き出しています。無論、綺麗な色だけではないですが、それらがテクストを構成する重要な役割を果たしています。

例えば、『幸福な王子』。
像は薄い純金の箔、目にはサファイヤ、刀の柄にはルビーが輝いています。
次に出てくるのは慈善学校の児童。こちらはあざやかな真紅の外套を着て、きれいな白い前掛けをつけています。
そしてつばめの登場。このつばめは大きな黄色い蛾を追いかけて川に舞い降り、そして葦のまわりを飛び回って銀色のさざなみを立てます。
つばめの語るエジプトの王のミイラは、黄色いリンネルに包まれ、首のまわりに淡い緑色の硬玉の鎖がかかっています。
大会堂の塔には白い大理石の天使の彫刻があります。
再びつばめの話。黄色いライオンが緑色の緑柱玉みたいな目をしています。
像の話。屋根裏部屋の青年の机にはしおれた菫の花。

このようにさまざまな色が作品中に登場しますが、この話の舞台は冬であり、基本的に街並みは薄汚れ、通りは黒く、さらには雪も降ってきます。
つばめが奔走するにつれ、街には輝きが横溢するかどうかはわかりませんが、幸福な王子の像は最後にはただの鉛の像になり果てます。
像の鉛の心臓とつばめの死骸は天使によって神のもとへ導かれ、そして幸福な王子の行く先は神の黄金の町です。

物語を追うだけでなく、文章に鏤められた様々な要素に着目することで、さりげなく読んでいた箇所が別の意味を持って鮮やかさを増してきます。少なくとも、『幸福な王子』では色彩が実に豊富なことがわかります。宝石の輝きが像の一点から街のあちこちに拡散する動き、というのがこの短篇にみられる運動ではないでしょうか。


チャールズ・ディケンズ『クリスマス・カロル』


クリスマスイブの晩、吝嗇なエブニゼル・スクルージの元に、仕事の相棒だったジェイコブ・マーレイの幽霊が現れる。
幽霊は三人の幽霊がスクルージの元へやって来ると告げる。
そして、過去・現在・未来のクリスマスの幽霊がやって来て、スクルージは幽霊と共に過去や未来の自分の姿を目の当たりにします。

我が身を振り返らずにはいられない小説です。


ヴィトルド・ゴンブローヴィッチ『フェルディドゥルケ』


主人公のユーゼフは30歳で独り者。
何やら小説を書いているらしい。
そんなユーゼフの元に教師のピンコがやって来て、
ユーゼフに学校に入ることを勧め、
半ば強制的にユーゼフを入学させる。

学校では、18になるかならぬかといった年齢の生徒たちが、「青少年」と「若いもん」との2つのグループに分かれて互いに争っていた。
「若いもん」を代表するミェントゥスと「青少年」を代表するスィフォンは顔くらべをすることになり、ユーゼフが審判をすることになる。
だがそんなこととは無関係に教師がやって来ては授業を進め、予習をしていない生徒たちは指された途端に青くなり何も答えられない。
授業後に顔くらべが行われ、スィフォンが勝利するものの、ミェントゥスはスィフォンを押さえつけ、彼の耳に彼の嫌う汚らわしい言葉を囁き続け、スィフォンは悶え苦しむ。

ピンコに促されるまま、ユーゼフはとある一家に下宿することになる。技師、技師夫人、女学生の三人家族。
ユーゼフは女学生に恋ともつかぬ複雑な感情を抱き、その現代的な女学生を打ち負かそうと罠を張り巡らす。

下宿を後にしたユーゼフは、作男に憧れるミェントゥスと共に、真の作男を探しに郊外へ行く。途中、ユーゼフのおばに会い、彼らは彼女の屋敷に招待されることになる。
屋敷で働く若い下男の中に求めていた作男を見出したミェントゥスは、さっそく彼ときょうだいづきあいをしようと試みるが、地主貴族たるおば、おじ、にはそれが奇怪なことにしか見えない。ミェントゥスの行動は、百姓と地主との間にある秩序の均衡に罅を入れることになり、やがて混乱が訪れる。

物語全体は三つに区切られ、その切れ目には作者の言葉と挿話が書かれています。

『子供で裏打ちされたフィリードル』とその前書き。
『子供で裏打ちされたフィリベルト』とその前書き。

この前書きでは形式について書かれ、
物語では成熟について書かれています。

何が書かれていたのか考えても何もまとまらず、何を読んだのかも未だによくわからない奇妙奇天烈な小説です。




ロジェ・グルニエ『編集室』


フランスの作家グルニエの短篇集。
新聞記者としての彼の経験がこの短篇集の中枢を形作っていると思われます。

本書の語り手の多くはジャーナリストであり、その語り手の視点で様々な人間の生き様やその生涯の一場面が簡潔に描かれていきます。
文の運びは上手いし、読みやすく、また人間に対する洞察も鋭い。
数多くの人たちとの交流の中で作者が培ってきた人間観、親愛の情、愚かしさ、虚しさ、そういったものが短い文章のなかにさりげなく、だが巧妙に含み込まれていると思われます。

登場人物たちに関して言えば、モデルはいるのかもしれないが、それぞれを血の通った人間として生々しく(人間臭く)描くことができるというのは、やはり凄いです。



2012年1月21日

The Secret Of Kells

ケルズの書つながりで存在を知ったアニメです。
『ブレンダンとケルズの秘密』というタイトルで日本でも公開されたようです。

ケルズの書が如何にして出来上がったのか。 
シンプルな絵のアニメですが、CGも多く使われており、
映像の美しさには目を奪われます。




『ケルズの書』

アイルランドに興味を持ち、その延長でケルト文化にも興味を持つと、
精緻な装飾の世界があることを知りました。
何度見ても飽きることがない不思議な装飾写本です。




2012年1月18日

『聖母の贈り物』 ウィリアム・トレヴァー

アイルランドの現代小説を探していて見つけたのがこの本です。
短篇集で全12篇が収められています。
描かれる物語には、綺麗に起承転結で終わらず、中途半端な印象で終わるものもあります。
どちらかというとそういった印象の短篇が多いです。
にもかかわらずこの作家の小説が魅力的なのは、そこで描かれる人間たちが放つ精彩によるのではないかと思われます。人間の持つ喜怒哀楽の感情、嫉妬、小心、諦観、妄執、残酷さ等が、等身大の人間を通して語られます。どこにでもいるような人間たちによる平凡なありふれた物語が、明確な終わりや結末が与えられるでもなく語られていきます。裏を返せば、現実的であるというのは、虚構のように綺麗に起承転結に収まるものではないということなのでしょう。
ただ、作者はそういった登場人物たちを冷たく突き放すのではなく、暖かく見守るように扱っていきます。
日常生活の細部がさりげなく、しかし事細かに描かれ、そこから浮かび上がる生活の空気が、時には気詰まりして息切れしそうになるような印象を与えることもありますが、そんな短篇を読んで快楽を感じるとすれば、読む人もまた、その空気に執着があるのかもしれません。

「トリッジ」
「こわれた家庭」
「イエスタデイの恋人たち」
「ミス・エルヴィラ・トレムレット、享年十八歳」
「アイルランド便り」
「エルサレムに死す」
「マティルダのイングランド」
一、テニスコート
二、サマーハウス
三、客間
「丘を耕す独り身の男たち」
「聖母の贈り物」
「雨上がり」



『アイルランドのパブから』

キアラン・カーソンの小説を何冊か翻訳してらっしゃる栩木伸明先生による
ダブリンを中心としたフィールドワークの記録です。
パブの話や音楽の話、文学の話など、全体的に読みやすく、著者個人のエピソードも興味深いです。
本書の記述によると、アイルランドでは1960年代になるまで、伝統音楽は無教養や貧困や後進性と連想づけられるとの理由から、パブで楽器を演奏するのは禁止されていたそうです。
それが70年代以降、伝統音楽が再評価され、愛好家が増え、パブでのセッションが流行するようになったとのことです。




『アイルランド音楽への招待』


ジョン・バンヴィルの『バーチウッド』にもティン・ホイッスルやバウロンなどの楽器が出てきましたが、
アイルランドの伝統音楽についてコンパクトにまとめてあるのが本書です。

著者のキアラン・カーソンは作家でありアイリッシュ・フルート奏者でもあります。
アイルランドの伝統音楽を演奏する作家がアイルランドの伝統音楽について書くとこういう書き方になるのか、という読み方もできますし、アイルランドの伝統音楽の簡潔な歴史を知ることもできます。
皮肉とユーモアを交えた文章や、思わず笑ってしまうと同時に考えさせられる挿話もあります。
興味のある方はご一読下さい。



2012年1月16日

『バーチウッド』を読む 大気と天使たち

第二部のタイトル、『大気と天使たち』。

これと同じ語が第一部(7)に出てきます。
マイケルがジャグリングをする場面があり、
それを見ているガブリエルの語りの中に『大気と天使たち』という文が出てきています。
ジャグリングは第二部で語り手が一緒に旅をするサーカスの一座をどことなく連想させます。

2012年1月15日

『バーチウッド』を読む プロスペロー

サーカス一座の名前にもなっているプロスペロー。
しかし、名前は出てくるのにプロスペロー本人は出てきません。

最初にプロスペローの名前が出てくるのは第一部(7)で、
マーサ叔母の息子であるマイケルの父親は誰かということについて、
噂として屋敷を包囲した旅芸人一座の長プロスペローの名前が出てきます。
また、今なお流布して好評を博している説では侏儒だということになっています。


また、第二部(4)では、ガブリエルがサーカスの仲間にプロスペローについて尋ねると
皆口をつぐみます。そしてマグナスが「例の、うまくやった男さ」と言います。
そして第二部(9)でガブリエルは、赤毛の少年(マイケル)とプロスペローがどこかでつながっているのではないかというかすかな直感を感じます。
そしてその直後にレインバードの元へ行きます。
その後で、「必要なのはレインバードではなく、彼がつつましやかに象徴する何かだった」という記述があります。
さらに第三部(5)でガブリエルは、プロスペローは実在したことはない、という記述をします。


以上のような記述から幾つか考えられる可能性を挙げてみます。
①プロスペローは実在しなかった。
②プロスペローは実在していたが、第二部の時点ではサーカス一座にはいない。
③プロスペローは実在しているが、プロスペローを名乗ってはいない。


①はガブリエルの語りをそのまま受け取れば、プロスペローは実在しないと考えられます。
②は、サーカスの仲間が口をつぐむことから、かつてプロスペローがいたが今はおらず、何らかの事情で口をつぐんでいると考えられます。
③は、幾つかの記述からレインバードこそがプロスペローではないかと推測するものです。
第二部(9)でガブリエルはマイケルとプロスペローのつながりを直感し、直後にレインバードの元へ行きますが、何故彼の元へ行ったのでしょう。そして、彼がつつましやかに象徴する何かとは何のことなのか。
また、第一部(7)の噂で、プロスペローは魔術師、侏儒として記述されています。
そして第二部(2)でレインバードが登場した際、彼の背丈の低さに関する記述があり、「魔法も少しは使うね。舞台では」とサイラスがレインバードのことを説明します。サーカスで彼は手品をします。
侏儒、魔法という共通項がプロスペローとレインバードの間にはおぼろげながらあります。
ただ、はっきりと両者を結びつける記述はありません。語り手は過去をつなぎ合わせていく際に、自然と両者のつながりを曖昧な形で意識していただけなのかもしれません。

『バーチウッド』を読む ジョン・マイケル・ローレス

第一部(2)に名前の出てくるジョン・マイケル・ローレス。
語り手の母ベアトリスの父ですが、語り手によれば老獪な悪党として説明されます。
また、ローレス一族の彼がバーチウッド奪還を狙っていると語り手の祖母は考えます。

そしてこのジョン・マイケル・ローレスが次に登場するのは第一部(17)で、
語り手の父ジョセフが老ガダーンに土地を売り、ジョン・マイケル・ローレスが老ガダーンから土地を買い取り、バーチウッドの地所の大部分を所有している事実が明らかになります。

最後に登場するのは、第三部(3)ですが、この時にその生涯の最期を迎えます。

大分間隔の開いた登場のしかたですが、これも谺の一つなのかもしれません。
また、マイケルという固有名詞も、後に出てくるマーサ叔母の息子マイケルの名前と谺の関係になっているとも読めます。

『バーチウッド』を読む コッターの小屋

第一部(5)からその後も頻繁に出てくるコッターの小屋。
主に男女の逢引の場所として使われることの多いこの小屋ですが、名前の由来になっているコッターが実際に登場するのは、物語終盤の第三部です。
彼が小屋を追い出された経緯も本人の口から語られます。
第一部(6)でバーチウッドの下女であるジョシーにはコッターという名の亭主がいるという噂について記述がありますが、結局コッターとジョシーの関係についてはその後も明らかになりません。

『バーチウッド』を読む 第一部の人間関係

第一部ではバーチウッドで暮らす人々の人間模様が描かれていますが、第三部でその人間関係の裏にある秘密が明らかになった後にもう一度第一部を読んでみると、解説にあるように第一部の印象が大分変わってきます。

最初に読んだ時は、登場人物たちのとる些細な行動に関する記述に特に気をとめることもなく、意味不明な行動や台詞が多いという印象を受けます。
それが、第三部で明らかになった人間関係を前提に読んでみると、第一部での登場人物の言葉、態度、仕草、喜怒哀楽、そういったものが、初読の時とはまた違う意味を持ってきます。
マーサ叔母やマイケルがガブリエルに対してそこはかとなく距離を置き、時には敵意を剥き出しにする理由。ジョセフの笑みや葉巻という小道具が示す人間関係。没落による困窮から気が触れたのではないかと思われていたベアトリスも、その精神状況に別の解釈が与えられてきます。

『バーチウッド』を読む 構成

『バーチウッド』は全部で三部構成になっています。
そして、第一部が一番分量が多く、次いで第二部、最後が第三部と、徐々に分量が少なくなってきます。各部は何節かに分かれていますが、その数を見てみると以下のようになっています。

第一部 死者の書      全21節

第二部 大気と天使たち 全13節

第三部 水星――使者  全5節

節の数に注目すると、次の部に移るごとに8節ずつ分量が減っていることがわかります。

『バーチウッド』を読む 時系列

『バーチウッド』は、語り手ガブリエル・ゴドキンの主観的な視点から物語が語られています。そして、語り手の語りの内容が首尾一貫していない箇所が所々あり、読んでいて違和感を感じたり、矛盾ではないかと思える記述に出くわすことがあります。

例えば、物語の第二部後半で徐々にじゃが芋飢饉の影響が語り手たちに忍び寄ってくることから、第二部の時代は、歴史的な出来事にふまえて考えれば、飢饉の始まる1845年頃だと推定されます。

一方で、第一部(2)でバーチウッドの歴史が語られる際、語り手の曽祖父の時代の話があり、そこに出てくる地主のジョセフ・ローレスに関する挿話として、じゃが芋飢饉の最中に小作人が餓死しそうだと警告した監督官に対する回答の記述があります。

第一部(2)に出てくるじゃが芋飢饉が、1840年代後半のじゃが芋飢饉とは別の、もっと昔にあった出来事と捉えれば、時系列上の矛盾はありません。
逆に、ここで語られるじゃが芋飢饉が第二部後半の飢饉と同一と考えると、第一部(2)で語られる一族の歴史が、語り手による捏造、とは言わないまでも想像によるところが大きいのでは、と思われてきます。元々、語り手の生前の出来事(例えば両親の結婚前のエピソード等)を自分が実際に見ていたかのように語っていることからも、語り手の語りを鵜呑みにせず、語り手自身も記憶が錯綜しているなかでバーチウッドと自分の話を語り、読者はそのような曖昧な語り手の話を読んでいる、と考える方が解釈としては妥当かもしれません。

以上のことをふまえて、物語の時系列を筆者なりにまとめると以下のようになりました。
語り手の記述に正確な年数のわかるものがないため、多分に憶測を含んでいます。

<西暦不明>
語り手ガブリエル・ゴドキンが生まれる。

<西暦不明>
ガブリエル生誕から十五年後、マーサ叔母とマイケルがバーチウッドにやって来る。

<1844~5年頃>
ガブリエルがバーチウッドを抜けて、プロスペローの一座と旅に出る。

<1845~6年頃>
旅の始まりから約一年後、ガブリエルが一座を離れる。

<数週間か数箇月か数年後の春>
ガブリエルはバーチウッドに戻ってくる。

<一年後の春、聖ブリギットの日=2月1日>
第三部(5) 

<同年の夏>
第一部(1) ガブリエルはバーチウッドについて語り始める。

『バーチウッド』を読む 第三部(1)~(5)

第三部 水星――使者

(1)
語り手は生き延びる。数週間か数箇月か数年か、判らない。
ティンカーの一団と一緒にいたこともある。
円を描いて旅は続き、その中心にはサーカスがあった。
春の初めの日々。
森の奥の小屋。焚き火。大男。アルバート。
コッターの話。サイモンに土地を追い出された過去。
現在の話。女が癲狂院で亡くなる。女の一族が屋敷を乗っ取る。
ジョセフの旦那。
逃亡。虎の黄色い目。

(2)
馬車。サイラスとマリオ。
ローレス館。発砲の音。シビル。
仰向けに寝かされたエンジェル。春の雨。

(3)
崩壊した私の王国。
修繕されているバーチウッド。
猟銃を構えるコッター。
サイラス。ドレスを着たおかしな連中。モリー・マグワイア党。
老ジョン・マイケル。ローレス一族。
サイラスと一座の連中は党と肩を並べて戦っていた。
「屋敷は彼にやってしまうがいい」
サーカスは立ち去る。
白い夜会服に身を包んだ人影。赤毛。

(4)
黒いナイフ。サバティエ。
マイケル。
湖のほとりの東屋。
語り手は自分の名前を七度呼ばわってその谺を聞く。

(5)
書斎のビリヤード台。樺の木立。
遺言書。争い。名前を持たない理由。
再び春が来る。聖ブリギットの日。


『バーチウッド』を読む 第二部(1)~(13)

第二部 大気と天使たち

(1)
早朝に町に着く。古い城壁の名残の階段。
ペンブローク伯リチャード・フィッツギルバート・デ・クレア。ストロングボウ。
1169年ノルマン人のアイルランド侵攻。

港の聖母マリアの祭日。
けばけばしい夫婦者とその仲間。ポスター。
プロスペローのマジック・サーカス。
町の外の野原。大きな赤いテント小屋。幌馬車の群。
プロスペローの姿は誰にも見えない。

サイラス:老人
エンジェル
マリオ
ジャスティンとジュリエット:二人組の金髪の子供
ソフィー:赤ん坊
マグナス
シビル
エイダとアイダ:双子

(2)
一種の移動劇場。
「頭上のキャンバス地の屋根はじりじりと太陽に灼かれて」 ニキータ・ミハルコフ?
灰色の猿。アルバート。虫食いだらけの虎の剥製。
偵察役のレインバード。侏儒。
語り手は双子の妹を探している。写真。

(3)
その夜のサーカス。
マグナスはアコーディオンを弾く。
(アイルランドではダイアトニックのボタンアコーディオンが主流なので、ここに出てくるアコーディオンもそれと同じと思われる)
見えないところでバウロンが連打される。
ジャグラーのマリオ。マリオはティン・ホイッスルを奏でる。
蒼白な双子のエイダとアイダ。燃える赤毛のシビル。道化のマグナス。
サイラスとアルバート。ヨハン・リフェルプ。

(4)
ペテンと観客。夢の共犯。
プロスペローについて尋ねると彼らは口をつぐむ。
シビルはサイラスの連れ合い。ジャスティンとジュリエット。
マグナスはハーモニカを取り出してジグを吹きはじめる。
爆発する棺桶の話。

(5)
マリオ。金髪のエイダ。その子供ソフィー。
我らが優しきアイダ。
背の高い女がやって来る。長いドレス。太いステッキ。それは男だった。
制服の二人組。トラウンサー巡査部長とジェム。

(6)
プロスペローの一座と旅をしたのは一年間。
町を離れた日の午後。粗末なパブ。バグパイプとバウロン。ポーター。
アイダはバウロンを借りて叩く。カリグラ。「時」。

(7)
春の終わり。南の海辺にある小さな村。
近くの農家。マグ。

(8)
ウェクスフォードでの小屋の崩壊。官憲の不興。
国中が災厄に夢中になり、誰も私たちを気にかけなくなる前のこと。
夏の初めの輝かしい日。
エンジェルは滅多に口を開かない。
令状送達吏。
「親愛なるマルヴォーリオ」 十二夜?
兵隊。じゃが芋が不作。

(9)
今や旅の半ば。
もし双子の妹がいないのなら、過去の暗示や矛盾、家を出る前の晩伝えられた率直なメッセージをどう説明するのか。
赤毛の少年とプロスペローがどこかでつながっているという直感。
ソフィーがいなくなる。その晩、ソフィーを探してマリオもいなくなる。
家畜の疫病。じゃが芋の不作。飢饉。烏麦や畜牛は対岸への輸出用。
七月のある朝、マリオが追い付く。

(10)
雨の日。シビルとの会話。サイラスの計画。

(11)
夏が終わる。秋。
低地での恐ろしい噂。
サイラスの法螺話。底板の開く棺桶。
語り手とアイダ。兵隊。雨が降り出す。

(12)
過去からの谺。旅の終点。
頭を黒いショールで覆った、ドレスの女。粗末なツイードのズボン。(5)の谺。
より遠い過去の、よりかすかな谺。
歌声。住民。先導する赤毛の司祭。行列の脇を歩むストロングボウ。棺。広場を進む。
棺の後ろを歩く気の触れた老女。見憶えがある。
道をふさいでいる馬車。二人の警官。トラウンサー巡査部長。
棺桶が爆発する。
老女は、ずっと昔、黒すぐみの茂みで聞いた時と同じ耳障りな声でいつまでも笑っていた。

(13)
町を出て一マイルばかりのところ。女装の男がサイラスの馬車から飛び降りる。
警官と兵隊の追跡。
一軒のパブに辿り着く。(6)から一年後。
無人。飢饉。疫病。死の舞踏。
馬車の一台が燃えている。兵隊。マグナス。
ガブリエルは馬に乗って野原へと駆け去る。





2012年1月14日

『バーチウッド』を読む 第一部(9)~(21)

(9)
語り手が学校に送られなかった理由。
バーチウッドの経済状態。農園経営に対する関心の低さ。雨漏りと空き瓶。雨粒が奏でる音楽。
百姓たちの無遠慮。密猟者。祖父の怪我。
流浪の民の出現。
コッターの家の辺りで焚き火をするガブリエルとマイケル。野良仕事やノクターとの狩。
マイケルの学校時代の話。木立のなかに見えた姿と声。

(10)
祖父の精神状態。医者のマッケイブ先生。カルトン神父。祖父との別れ。
夜の気配。葉巻の煙。マーサ叔母の白い部屋着。

樺の木に食い込んでいる義歯。
樺=birchwood

(11)
遺産相続。土地をハーフマイル館の老ガダーンに売り払う。近隣の叛徒たちに資金を都合しているという噂。革命から生まれる新しい国に自分の取り分を確保するためだろう。
葡萄酒の瓶が飛び散る。祖母が金切り声を上げる。
父が笑みを浮かべる。喚き出そうとするマーサ叔母に指を振る。母は義理の妹を睨み付ける。

(12)
その年の黒すぐりは近年最高の豊作。
ガブリエルとマイケルは小作人たちの指揮を委ねられる。ノクターの荷馬車に乗って栽培地へ行く。
祖母と一緒のロージー。黒く短い髪。そばかすのある日に焼けた少女。労賃。コッターの廃墟。

(13)
ロージー。代数の話。
崩壊しつつあるバーチウッド。学習室の天井、便所の床板が抜け落ちる。
ガブリエルとロージーのアクセントの違い。木の葉が色を変え始める。
不穏な情勢。国中が武器を手に立ち上がっていた。ロージーの狙い。湖の岸辺の東屋。赤毛の幽霊。マイケル。散弾銃を発砲する父。

(14)
客間の暖炉に火が入る。洞に谺が響き渡るだけのように思える屋敷。
農民反乱の気配。
祖母は長い時間を湖畔の東屋で過ごす。バーチウッドはもう自分を受け入れてはくれない。黒い傘の花。
マーサ叔母。ラテン語入門書。「愛スル」。無口になったマイケルは語り手の知らない秘密を知っている。
爆風。雨。

(15)
祖母の葬儀。マッケイブ先生の状況説明。語り手は屋敷自体が彼女を始末したのではないかと疑っている。普通の大きさの棺桶。

(16)
肺炎。ロージーの笑い声は彼女の祖母の高笑いを谺させる。十四歳の小娘。
語り手はどこかに双子の妹がいるという事実に気付く。

(17)
厳しい冬。雨が寝室まで漏れてくる。無力な父。ノクターが姿を消す。彼は「運動」に関わっているらしい。
舅のローレス老人が今やバーチウッドの地所の相当部分を所有しているという事実。
母の節約体制。着古しを引っ張り出してくる。過去からの薄気味悪い谺。
クリスマスに雪が降る。
マーサ叔母の部屋から笑い声。扉から父が慎重に顔を覗かせる。葉巻の煙。
屋根裏部屋の母は祖母の夜会服を着ている。

(18)
三月。母は新しい世界をさらに奥へと旅を続けている。
大天使ガブリエルの祝日、父は語り手を図書室へ呼ぶ。語り手は学校に送られることになる。
バーチウッドは死んだ。

(19)
マーサ叔母。遺言書の話。マイケルの姿が見えなくなる。「十五年もあんなところに押し込めて」。
マイケルは「妹は奴らのところだ」と語り手に伝える。

(20)
未明に干草小屋が燃えている。マイケルを探してマーサ叔母が飛び込む。

(21)
語り手ガブリエル・ゴドキンは夜明けとともに家を抜け出す。





2012年1月11日

『バーチウッド』を読む 第一部(7)~(8)

(7)
相続財産をめぐる陰謀。
マーサ叔母の来訪。マイケル。
マーサ叔母の経歴。ガブリエルの父が新婚旅行から帰ってきた日の大混乱。(2)
ガブリエルと同じ日に生まれたマーサ叔母の子供。
屋敷を包囲した旅芸人の一座の長プロスペローがその子の父親ではないかという噂。

(8)
マーサ叔母は語り手の教師となる。
叔母は『ふたごのおはなし』という本を読み聞かせる。ガブリエルとその妹ローズ。
ローズはいなくなってしまい、ガブリエルはローズを探しに出かける。
「君が知っている筈ないもの」
白いドレスの少女の写真。彼女は薔薇を手にしている。

『バーチウッド』を読む 第一部(4)~(6)

(4)
語り手と母。幼い日の記憶。祖母。語り手の幼さに自分の老齢の谺を聞き取るような心境。
救貧院と牧草地についての会話。

(5)
夏。両親とのピクニック。コッターの家。調和と呼ぶものの一端。

(6)
雨の日曜日。祖母の最後の誕生祝いの日。祖父サイモン。
ジョシーにはどこかにコッターという亭主がいるという噂。父の呟き。誰がバーチウッドの主か。

『バーチウッド』を読む 第一部(3)

幌馬車の一隊。サイラスとエンジェルがバーチウッドを訪れ、語り手の母と会う。
野営地が出来上がっていく。

ティン・ホイッスル:穴が6つの縦笛。
バウロン:片面だけヤギ皮が張られている太鼓。

おばあちゃんと母との会話。ジョシー。庭師のノクター。
tinker : ティンカー。流れ者。漂泊民。
語り手ガブリエル・ゴドキンの誕生。もうひとつの弱々しい泣き声。谺。

2012年1月10日

『バーチウッド』を読む 第一部(2)

父母、サイラス、エンジェルへの言及。

ゴドキンとローレス一族の歴史。語り手誕生までの一族の歴史を語り手自身が語る。ゆえに語り手は、実際には見ていないことを見てきたかのように語っている。もしくは、他者から聞いた話を自分が当時の出来事の現場にいたかのように語っている。

地主のジョセフ・ローレス。じゃが芋飢饉時の挿話。
語り手と同名の曽祖父ガブリエル・ゴドキン。その妻ベアトリス。
語り手の父ジョセフとその妻ベアトリス。谺。

父母が新婚旅行から帰ってくる。
父ジョセフ。その妹マーサ。その二人の母親。客間で睨み合う三人。



ジョセフ・ローレス:地主。バーチウッドの主。
ガブリエル・ゴドキン:語り手の曽祖父。
ベアトリス:語り手の曾祖母。ローレス一族。
サイモン・ゴドキン:語り手の祖父。
ジョセフ・ゴドキン:語り手の父。
ベアトリス:語り手の母。ジョン・マイケル・ローレスの娘。
ガブリエル・ゴドキン:語り手。

『バーチウッド』を読む 第一部(1)

第一部 死者の書

語り手――ガブリエル・ゴドキン

一連の物語が結末を迎えた後のバーチウッドで暮らすガブリエルの視点から、ゴドキン一族とその屋敷バーチウッドの盛衰が語られていく。

言及される固有名詞等
サバティエ
ロージー
サイラス
白いドレスを着た少女(の写真)
赤毛

lawlessな屋敷


『バーチウッド』を読む(エピグラフ)

Odi et amo. Quare id faciam, fortasse requiris.
nescio, sed fieri sentio et excrucior.


ローマの詩人カトゥルスの引用。85番。

第一部(14)でマーサ叔母がガブリエルにラテン語入門書を使ってラテン語を教える場面があり、「アモー(愛スル)」と喋っている。入門書にエピグラフと同じ詩が載っているとも考えられるが定かではない。ただ、エピグラフの「アモー」が、第一部(14)に谺としてあらわれていると考えることはできる。



『バーチウッド』を読む(序)

アイルランドの作家ジョン・バンヴィルは個人的にとても気に入っている作家です。彼の小説『バーチウッド』(1973)について、一読者の視点から綴っていきます。
ストーリーよりも全体の構成や文章の細部に興味があるので、その辺に焦点を当てたいと考えています。
この小説を未読の方が興味を持ち、読者が増え、バンヴィルの未邦訳の作品群がいつの日か翻訳されることを切に願っております。





はじめに

筆者がこれまでに読んだ本について.
主にアイルランドの小説を中心に徒然に綴っていきます。
何分、アイルランドに興味を持ったのが数年前からなので、
更新頻度は緩やかになると思われます。
本以外の話題も時々あります。